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ううーーーん、言いたいことをうまく伝えるって難しい。 [ちょっと哲学]

さっき書いた記事を自分で読んで見たんですが、全然だめですね。
人を評論すのは簡単ですが、自分を評論すると

もう最悪ですね、ちょっと頭を冷やしてもう一度書きます。
一番言いたい論点、それはあくまでも歴史観と言うところになるんですがね~。
それをどうやれば伝わるのか?
未熟すぎます。


滅茶苦茶お久ぶりです [ちょっと哲学]

たぶん誰も気づかないと思うんで思いっきり本音を書くかもしれません。
本当にこの国はどこへ行こうとしているのか?
安っぽい民主主義。もうくるっているとしか思えません。

何が言いたいのか?って思われる方もいるかもしれませんね。
まあこれだけ更新していないんで誰も見ていないと思うんですが。

なんなんだろう。みんな自分が正しいとでも言いたいいんだろうか?
って思ったのはwowowでやってたドラマ「マークスの山」を見ていたのが直接のきっかけでしょうか。
物語としては確かに面白いんでしょうが、なんかとっても不愉快な思いがしてしまいました。
こういうドラマを含め結局は視聴率だけが欲しいんではという自分特有の感覚にとらわれてしまいました。
あらゆる報道番組もそうですし、最近の政治家もそうなんですが、一見自分なりの正義感というか主張は有りそうに見えるんですが、決定的に欠けているのが歴史観ですね。

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競争のある社会について [ちょっと哲学]

なんかもうブログ(日記)ではなくて月記になってしまっていますね。
山は天気を睨みながら槍ヶ岳はパスし、木曽駒・三の沢岳にしたんですが
登り始めは最高の天気のちすぐに雲が多くなり山頂は真っ白け。
テントの中ではまたまた雨に。
こうなれば、夏山リベンジと思い蓼科山にも登りましたが予報の晴れとは
程遠い曇り空でした。今年はどうも天気に恵まれません。
さてそうこうしていいるうちに衆議院選挙が近づいてきました。
TVでも様々な報道がされていますが、どれもマニュフェストの項目を抽出して
解説をしている感が否めません。
民主党に一度交代するのもやぶさかではありませんが、国の在り方という点で
本音はどうなのかがとても気になります。
ワイドショー的な選挙戦は全く気に入りませんが、選挙の争点をもっと分かり易く
するのなら「競争のある社会は是か非か」という問題の立て方はありなんではないでしょうか?

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自分の責任ということ [ちょっと哲学]

実はこの記事を書くとき何を主題にするかでずいぶんテーマが変わるんで少し悩みましたが、まあこういうテーマにしたんでそれに沿って少し書きます。
自分の責任、まあ聞き流してしまえばそれで終わりそうなテーマなんですが僕の中ではこれってかなり大きな問題です。
今のマスコミなんて自分の責任なんて言葉は死語でしょう。前も書きましたが過去の自分の報道なんてまるで覚えていない。いつもその場その場の主流に従って流すだけ、、、、
一体これって何なんでしょうか?ちょっと前に起こったアスベストの事件。マスコミはアスベストが登場した時にこぞって「夢の建材が現れた」って報道したはずです。
今、環境問題が大きく取り上げられるなか、夢の電気自動車なんてやっているけど、もし電気自動車に問題が発生すれば報道の論点は大きく変わるんでしょうね。自己の責任と言うのは重くのしかかりつつもあくまでもその時点で正しいと思ったことを貫けば良いと思うんですね。
後でそれが悪かったと思うんなら素直にあれは間違っていたと言えばいいんですが、馬鹿に限って私は間違っていない、なーんてことを主張するんです。
自分だけのことを考えるから私は間違っていないなんて主張するんですが歴史を少しでも学べばそんなことがあり得あいと言うのは自明の理です。もっと謙虚になって「自分は勘違いしていた」でもいいし「自分は間違っていた。この過ちを直す理論をさがします、それが僕の償いです」ぐらいをなぜ言えないんでしょうか。知らないことは知らない、これは恥でも何でもないですし、あほな知ったかぶりをする方が100倍ぐらい恥ずかしいことだっていうことが分からないんでしょうかね~。
謙虚と言うんではないですが、そういうふうに考えた時自分の責任といのは必ずあります。
日本が悪い、資本主義社会が悪いと言ってあたかも自分は何の責任が無いように言うことは可能です。でもそれは嘘ですよ。その社会に属している限りどんなにか小さい責任かもしれませんが自分はそれを背負っているでしょう。日本で言えば1億3千万分の1の責任は負っているんです。
自分は悪くない、なんていうのは簡単ですし、そういう気持ちでいれば本人はすっきりするんでしょうがそんなやからだらけの世の中になったら歴史の進化はそこで終わりを迎えるでしょう。
この記事は特にマスコミ、その中でも特にTVに向かってささげたいと思います。

裁判員制度について [ちょっと哲学]

またしてもNHKのあのバカ女、国谷何某の番組を見たことがこの記事の要因です。
今日の特集は裁判員制度。
いわく何のためにこの制度ができたかということのようです。
偉そうに教えるなら本当のことを教えるべきなんですがね~。
でもこの番組では何一つ本当のことを伝えませんね。
近代の民主主義国家では三権分立は当たり前のことになっています。
ところが本当に三権分立になっているんでしょうか?
ここで言う三権とは司法、立法、行政ですよね。
僕は大いに裁判制度にかかわらなければいけないと思っています。
それはなぜか?
日本もはじめほとんど北と言われる先進国は民主主義国家で三権分立が常識です。
さて、立法は議会、行政は役所、司法は裁判所で行われます。
色々考えてみましょう。裁判所ってなんかトラブルがある人しかかかわっていませんか?
それに比べ役所には住民票を取りに行くでしょうし、議会の代理人を選ぶのは色々な選挙でかかわっていますよね。
司法の世界だけ変に分離されている気がします。
でもね司法の世界って結局は法律によって決まるんですよ。
その法律を作るのは議会です。議会を選ぶのは僕たちの選挙。
つまり全部有機的にからんでいるんです。
今まで法律に何の関心もない人がある裁判で裁判員になるとしましょう。
裁判を通じてなんかおかしい、この人は無罪でいいのに、なぜ有罪になるんだろう?これは法律がおかしい。よって立法府で法律を改正するべき=それを変えてくれる政党に投票する。
三権分立の良いところはこういうところにあるんで、自分は人を裁けないなんていうことを言わずに自分が感じるところを法律に生かす、そうは言っても少数派だと法律も変えられない。
というようなことを多くの国民が考え始めれば選挙ももっと真剣になるだろうし、遵法の精神ももっと深まるだろうし、選挙自体の重みも変わるだろう。
そう、安っぽくテレビあたりで言っていることではなく、裁判にかかわることでこういう考え方の人が増える=三権分立の真の意味を理解する  

こうなれば日本もそう捨てた国では終わらないと思うんでぜひ裁判員制度に多くの人がかかわり、法律の成り立ちに触れてくれればと思うのは僕一人ではないであろう。


エニアグラムのタイプチェック [ちょっと哲学]

先日エニアグラムについて書きました。
もうお調べの方もいるかもしれませんが、書きのHPでタイプ診断が無料でできます。

タイプ診断はこちらからどうぞ

このほかにもいくつかのサイトで無料診断ができますが上記のHPは僕が購入した分厚いテキストとおんなじ設問がありました。ちなみに再び自分もやってみましたが、やはりタイプ7が一番多かったですね。

設問に答える際に一つ注意することがあります。
大人になっていく過程で人は色々な教育を受けています。その中でどうしても「こうあるべきだ」とか「こういう方が良いに決まっている」と言う答え方をしてしまう傾向があります。
あるサイトに書いてありましたが、自分の20歳ころはどうだったか?という視点で答えるようにした方が良いと思います。ありのままで答えないと違った診断になってしまいます。

また、エニアグラムとはどういう概念かと言うのは下記のURLが良いかと思います。

日本エニアグラム学会内の概要

是非お試しあれ!


エニアグラム [ちょっと哲学]

先日、暇なんでBOOK OFFで何気なく本を見ていましたが懐かしい本を発見し思わず購入しました。
それは「エニアグラム」の本です。
エニアグラムとの出会いは7年ほど前です。
会社の研修で(50歳の研修で今後の人生観をしっかり持つための研修でした)自分の性格を知り、どのようなとらわれがあるか?違う性格の人とどう向き合うか?と言うことを知るためのものでした。

エニアグラムは質問に答えて判定されますが、これは血液型なんぞとは全く違いかなり正確な判定ができると思いました。
人間の性格と言うのはもうほとんど変化しないものです。ですから自分の性格を知る、周囲の人の性格を知ると言うのは結構重要なことだと思っています。事実僕もこのあとのマネージメントでは結構このエニアグラムを応用していました。当時数冊買った本もいつしかなくなってしまい、久しぶりにエニアグラムの本が手元にある状況になりました。

エニアグラムでは性格を9つに分けています。

 

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二元論の限界 [ちょっと哲学]

ここのところ、我が家のネットワーク環境がおかしく、ブログの更新もできませんでした。
コンピュータの世界ってバリバリデジタルと思いきやなんか非論理的な世界でもありますね。
さて、以前に西洋の宗教のところでも書いた二元論に関してです。
僕も仕事で二次元マトリックスをずいぶん活用した方ですから、二元論がいけないと言うことを書きたいのではありません。
ただ、二元論ではどうしても解けない問題が世の中には多くあると言う気がしています。
たとえば物理の問題です。大昔学校で習った時は+と-の電荷で問題を解いていました。ところが物質の最小単位が電子、陽子、中性子ではなくなってくると電荷では解けなくなってしまいました。
昨今のノーベル賞受賞の中で素粒子論が出てきましたがクオークの世界では電荷ではなく、色電荷と言う概念が使われています。

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芸術と教育 [ちょっと哲学]

前回の記事の続きと言えば続きです。
教育に関しては一度じっくり書かなければいけないと思っているんですが、芸術の教育に関して書いておきます。
教育、これは現在の国家がなすべき3つの機能の一つだと思っています。
教育、安全、衛生。
さて、人は生まれてからすぐに教育を受けている、いや受精したときからすでに始まっているんでしょう。
押しつけ教育はいけないと言うような論もありますが、僕はそうは思いません。
プリミティブな段階では押し込んだ方が良い、と言うのが自説です。
読み書き、そろばんと言う言葉がありましたが、言語や算数は今の世の中では必須でしょう。
だから義務教育の段階できっちり習得しなければいけないでしょう。足し算、九九という知識がないと高等数学には行けないと言う気がします。
問題は高等教育なんでしょうか?
ずーーっと、詰め込み教育。こうなるとこの学問は何の役に立つのか?理解ができなくなりモチベーションも下がる。文系の人間(まあこういう分け方は好きでないんですが)にとっては物理、化学なんて訳分かんないっす。ってことになります。モル濃度なんてありましたが、なんじゃこれって気がしましたし、微分・積分も「だから何なんだよ!」って気になります。
ある程度のレベルになってきたらその学問の意味づけをすることがとっても大事だと思います。
「この学問をやると、こういうことが分かる」とか「このような分野の発展に役立てる」とか。
僕自身で言うと、社会人になってからの方がいろいろ勉強したつもりですが、仕事に直結するとその意味が理解できるような気がしました。
さて、芸術です。

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中原中也と芸術論 [ちょっと哲学]

先週NHKで中原中也の特集があった。
中原中也、僕の歴史観の原点がマルクスだとすると、芸術観の原点は中原中也とドストエフスキー、宮沢賢治となるのは間違えないところです。
特に中也には深く影響を受けました。大学の授業をさぼってジャズ喫茶(吉祥寺のメグが好きだった)やロック喫茶(これも吉祥寺のビバップが好きだった)では中也かドストエフスキーが定番でした。
一時は真剣に詩人になりたいと思ったこともありました。今思えば若気の至り。才能なんてまるでないんだから。
さて、人はなぜ芸術に惹かれるのか?それはもう「感動」の一言に尽きるような気がします。もしくは「時を忘れる」と言うことかもしれません。
大学の時菊池雅章のライブで得た全身総毛立つあの感動!本当に背筋が寒くなり、ぶるぶる震えがきました。

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